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2011年7月24日 - 2011年7月30日

2011年7月26日 (火)

酒落語「 そば前 」

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お暑い中に、お運び頂きまして、誠に御礼申し上げます。
一席のお付き合いをお願い致します。

えー、
「信州」と言えば「蕎麦」だと申しますほど、
信州と言う土地には蕎麦が似合います。
時期になりますてぇと、
蕎麦の白い花が一面にタァーッと並んで、
たいへんに美しいもの…なんですな。
黒い実が落ちまして、これを乾燥させる、
すりつぶしてお粉にして、打つ。
そうして蕎麦になって仕上がりますのが秋の晩から冬いっぱい。
夏になれば、冬越しの春越しの…てんで、
随分と味が落ちる。
“夏の蕎麦は犬でも食わぬ”…なんて、
江戸の時分から申しますが、
現代、昨今においては、そうでもないんだそうです。
科学の力…てぇのは素晴らしいですネ。
噺家にゃ、いちばん縁遠いお力なんですが。
“冷蔵技術”なるものの発達で、
蕎麦の実を取り置けるからこそ、
案外、盛りの時期と遜色が無いんだそうで。

蕎麦の世界には、
「そば前」と言う…なんと申しますか、
“たしなみ”とでも、申し上げたらよろしいでしょうか、
乙な楽しみ方がある様でございます。

蕎麦が茹で上がるまで、
酒、肴を楽しもうてなぁ趣向でございます。
せっかちだった江戸っ子の気性なんでしょうか、
直ぐに茹で上がる蕎麦であっても、
待ち時間を、どうして、いかに、有意義に過ごそうか…
…まるで、何時でもケータイを離さない若者の様な心境だったのでしょうか。
まぁ、もっとも「朝酒は女房を質に置いても飲む」のも、
また江戸っ子の気性でございます。
「そば前」なんて言うたしなみは、
実の所は、至って御酒を頂戴する口実にしていた…
その様な心持ちも致すところではございますが、
どちらにせよ、定かではありません。

えー、舞台は信州松本でございます。
「からっ風」と申しますと雪の季節を思い浮かべますが、
夏の信州の風と言うのも、
どうでしょう、「からっ風」なのではないか…と思う日がございます。
東京や名古屋、海べりの蒸し暑さに比べて、
標高700メートルを越える信州の風は、
日差しこそ強いものの、爽やかである…と、よくぞ旅人は申します。

信州に住んでおりますと体が慣れちまって、
年がら年中、ちぃとも感じねぇもんなんですが。

天下の往来を上機嫌で歩いているのは4人の男。
時折、「ガハハッ」と笑って、実に威勢がよろしい。
何を話しているかってぇと、
えぇ実のない、他愛も無い話でして、
仕事の話ってぇよりも、
今日、昨日何があった、どんな馬鹿をやっただか、
気楽な休日時分の暢気話。
昔馴染みの幼馴染、大人ンなってもしじゅうツルんで居ります、
信さんに岩さん、亀田屋さん、善兵衛さんが、
肩ぁ並べて歩いております。

朝から町内の草野球があったってんで、
早起きをし、汗を流し、
申し合わせて、子供らを家に追いやった上で、
さぁさぁ、一杯やろうじゃねぇか…って、
悪い親父たちがあったもんで。

同じ町内にございます、
これまた馴染みのお蕎麦屋さん「そば笹」、
ここの主も4人とは昔馴染みでございます。

事に寄るってぇと…いやいや、よしんば事がないなら、
えー、
心に、こう…グッとつかえて、
どうにも苦しい事があるので、
御酒の力を借りるけれども、
昔馴染みの兄弟分に、男同士の腹を割った話をしたい…
「そんな風にあいつに言われっちゃ、
 いかない訳には行くぅぅぅぅめぇぇぇぇ…」
…だなんて時に芝居がかったりしてね。

で、信さんが岩さんをダシにして、
岩さんが善兵衛さんをダシにして、
善兵衛さんが亀さん、亀さんが信さん…てぇあんばいで、
ひと回ししちまって、
亀さんトコのおかみさんが、信さんトコに礼を言いに行ったら、
「あれ、うちの旦那、今ぁ岩さんトコ行くって、出て行っちまったよ」
「あれ、うちの旦那も」「あれ、私のところも」
ぐるっと回って、
お定まりの「そば笹」で4人、やっている所に、
おかみさん連中がどやどやっと集まって…
その後のご騒乱は、申し上げずとも、ご想像の通りでして。

信さん、岩さん、亀田屋さん、善兵衛さん。
理由なんざ、どうでも良いんです。
気の置けない仲間内で、
美味しく楽しく御酒が飲める…
かえって、
これに理由をお求めになることが、
野暮って…ものかも、知れませんね。
昼、夜、のべつ、
集まるンなら「そば笹」とお定まり。

昔から…「女三人寄れば姦しい」と申しますが、
「三人寄れば文殊の知恵」と言う諺もございます。
ともすれば…これは、
女衆が集まって、
ピーチクパーチク、
パァパァ井戸端でやっているだけでも、
役に立つ知識が出るんだ…と言う事になりますな。
んー…なんだか、妙な心持ちにさせられますが。
するってぇと、まぁ、
あんまり悪いもんでもないのかなぁ…なんて思ったりも致します。

けれども、これを家内に話しましたところ、

「やだ、お前さん。そんなこたぁないんですよ」

…と言う。

「はぁ、なんでだい?」と聞きますてぇと、

「女はね、1人でも姦しいから、きっと1人でも知恵を働かせられますよ」
…なんて申しまして。

大の男4名ではいかがなものか…と申しますと、
ご案内の通り、
おしめが取れる頃からの付き合い、
言わば兄弟の様な幼馴染ともなれば、
気心も知れまして、たいへんに賑やかなものですな。

ちょっとばかし行き過ぎれば騒々しい、
しまいに喧嘩なんぞをおっぱじめれば、手も付けられない。
ただそれは、江戸の世も、今の世の中も、
また男も女も、あんまり変わらないものなのかなぁ…と、
思ったりも致す所でございます。



信「おう!邪魔するよ!」

善「こんちは!笹坊いるかい!」

亀「こんちは!」

岩「こんちは~!」

4人は、
ドカドカっと入って、
ダダダッと案内される前から椅子を手繰って、
腰掛けちまうなんざ、
よっぽど、テメェの家より通りが良いかも知れません。
通せんぼするおかみさんの存在も大きいんでしょうが。
昼から、膳の向こうを気にせず御酒が飲めるてんで、
ハナから随分と賑やかしい。

店ん中の方で、
ドヤドヤっとお客さんが入る音が聞こえ、
「よぉし、今日も旨い蕎麦をいっぺえ食わせてやるか!」
…なんて、向こう鉢巻(むこっぱちまき)締めなおした、
「そば笹」も、負けずと威勢良く出て参ります。

笹「へぇ、いらっしゃい!いらっしゃいまし!」

信「おう、笹の字。酒を出してくんな」

笹「……………………」

笹「……チッ」

善「聞いたかい、おいおいおい、舌打ちなんざしやがって!」

岩「舌打ち所じゃあないよ、眉間にね、あっと言う間に皺が入ったよ」

亀「どうしたんだい、随分な顔じゃあないか」

笹「どうしたもこうしたもないよ、えぇ?
  こう暑くっちゃな、なかなかお客様がお入りにならねぇ。
  ようやっと、団体さんがいらっしゃった!…
  …って思った所に、これだ。
  おめぇらだよ。いい加減、その面も見飽きるてんだ」

亀「それはねぇ、物心付いた時から馴染んでいるからねぇ」

岩「へへ、そうかい?ガキの頃に比べりゃあ、
  みんな浅黒くなってヒゲが、
  こう、ニョキニョキッ~っと、出てだねぇ…」

信「岩ちゃん、そんなのは、みんな一緒さぁ。
  笹坊、毎度の事とは言え、文句の前に三つ指でも付いて、
  “ようこそ、いらっしゃいました”とか言えねぇもんかね。
  同じ中でも、あっちの“中”は、
  茶屋に上がる前から、そうした礼儀一般、教わるもんだぜぇ?」

笹「おうおう、言ってくれるじゃねぇか。
  そんなに三つ指がお望みだったら、
  土間ぁ手ぇ付いて、やってやらぁな。
  その手で打った蕎麦、食わせるぞぉ!コンチクショウ!」

岩「なぁなぁ、善さん…するてぇと、どうなんの?」

笹「おいおい、岩ちゃん。啖呵切ったんだ。受けてくんねぇと」

善「そうだぜ、あれだな…
  よっ、
  そんな砂だか石だか付いた手で打った蕎麦なんか食えるかーッ…とか、
  どうだい?」

岩「へへ、そうなんだ。よぉし……」

岩「そ、そんな手ぇで、打った蕎麦なんか食えるか!…
  …蕎麦んなって出て来たら食べちゃうかもなぁ。
  そば笹の蕎麦ぁ、うめぇもんなぁ」

笹「なんだい、岩ちゃん。嬉しい事を言ってくれるじゃあねぇか」

亀「ははっ、角が引っ込んじまったねぇ」

信「まぁ、いいやな。飲もうじゃねぇか。
  気が抜けちまったよ。笹坊、酒ぇ見繕ってくんねぇか」

笹「あいよ、任せときな」

信「今日はなにがあるんだい?」

笹「もちろん、酒は売るほどあるぜぇ?
  良い酒を誂えてあらぁな。
  “冷やは身体に毒”なんて言うけどな、
  今日はこれを冷やで、飲んでおくんな」

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ドン…とそば笹が取り出しました一升瓶は、
よく冷えており、見目鮮やかな夏の空の青のラベル。
トットットット…と、そば笹が4人に注いで回ります。
待ちわびた1杯に4人は飛びつきますてぇと…。

岩「ふわぁ、良い香だね!ソーダ水みたいだ!」

善「おいおい、岩ちゃん。酒にソーダ水はねぇだろう」

亀「そうでもないよ。甘くってね、爽やかな香だよ。
  ソーダ水って言うのも、間違っていなさそうだ」

笹「夏には夏の酒がある…てなぁ。
  サッパリ爽やか、夏の食にも合う…なんてぇ触れ込みだ。
  笹の誉、特別純米中汲み生、
  島内の浜農場で育てた酒米で醸した酒さぁ!」

信「笹の誉ってぇと島内だよな。なんだい、米も島内産かい?」

笹「そうさ、全ッ部、松本生まれの日本酒だぜ!
  ささ、いっぺぇやってくんな!お通し、持って来るからよ」

信「すまねぇな!」

善「頼むよーっ」

…てんで、そば笹が奥に引っ込みますと、
「乾杯!お疲れさまぁ!」
日本全国、どこでも拝見できる、
たいへんに、お喜ばしい光景でございます。

亀「うーん、飲んでみても香が良いのは変わらないねぇ」

善「甘くって、シャッとして、良いねぇ」

信「俺は、このスルスルッと喉を通るのが気に入った。
  飲み込む、するてぇと香が腹から鼻まで戻って来るみてぇだ」

わいわいと飲む。
ご察しの通り、この4人。
日本酒は大の好物でございまして、
折々、「そば笹」が誂える日本酒の豊富さ、
飲み比べられる、
食べながら、色んな味わいに出会える事も、
また実にお目当てにして、通っている様でございます。

亀「この酒、美味しいなぁ。うちのヤツにも飲ませてやりてぇなぁ。
  こう言う香のあんの、好きじゃねぇかと思うんだよなぁ」

善「相っ変わらずだねぇ。
  …亀さん、他人のおかみさん捕まえて言うこっちゃねぇけど、
  あんなおっかねぇの、どこが良いんだい」

亀「どこって、そこが良いんだよ。気の強いトコっ」

岩「ねぇねぇ、信さん。亀さんね、昼間っからオノロケだよ~」

信「赤くなるのは、昼酒だけにしてくんな…でも、まぁ、あれだな。
  ノロケってるうちぁ、酒が不味くなる話でもねぇやな」

実に他愛もない、
肩の力の抜けた話でございます。

笹「よーし!お待ちどう!まずは、お通し!
  イキの良いのが入ったぜ!」

岩「えー!なんだい、イキって!?刺身ー?」

笹「ほらよ、朝採れたばっかのミョウガ」

岩「なんだよー、刺身じゃねぇのぉ?」

笹「生のまま薄く切って出す…ってんなら、刺身と一緒だな」

信「…そりゃあ違ぇねぇ」

笹「へっ、胡瓜を切って塩でひと揉み、ワカメで和えたものに、ミョウガだ。
  夏はこれで始まんなくっちゃなぁ!
  胡瓜も今朝採りだぃ。坂北の山さんが持って来てくれたんだ」

胡瓜の緑は青々として盛夏を感じさせます。
ゴツゴツと盛り上がった皮目がまた山を思わせます。
ワカメの黒くぬめって光る様は夜の海とでも申しましょうか。
胡瓜の山間に渓谷として存在する谷間の黒でも良いのかも知れません。
薄桃から紫、透き通る白に色が移るミョウガは、
その山や渓谷に掛かる虹の様に、小さな曲線を描いて、
小鉢の中に寝そべっております。
めいめいは左手に御酒を持ち、右手には箸。肴に手を伸ばします。

亀「おっ、胡瓜がゴリゴリっとして…本当だ。イキが良いね」

善「んん!塩みが旨いよ~!こう胡瓜が瑞々しいのに、
  ちっとも味足らなくねぇんだ。
  胡瓜ゴリゴリ、茗荷シャクシャク、良い心持ちだぁ」

笹「だろう?ささ、そうして笹の誉を飲んでおくんな」

信「推すねぇ。…どれどれ、合わせて食べてみるか」

岩「わわぁ!ミョウガの香と笹の誉の香が両方するよ!」

信「クンッと突く様なミョウガの香に、華やかな笹の誉の香。
  これが合うんだなぁ」

善「信さん、そりゃそうだけど、胡瓜とやってみねぇな!
  瑞々しい胡瓜だけどよ、
  サッパリしてねぇ訳じゃねぇんだよ?
  ワカメの塩気もあってウメェけどよ、
  くどい訳じゃねぇんだよ?
  でもよ、ここで笹の誉で締めると、
  シュッとさらって行く感じがしてね~!
  後味がいいやな!こう、浸っちまうねぇ」

岩「じゃ、その脇から胡瓜1個もらうよ~」

善「おいこらてめぇ、岩ちゃん!ちょっ、あっ、食っちまった」

亀「おいおい、胡瓜1個で喧嘩しちゃダメだよ」

善「俺ぁ胡瓜と美味しくよろしくやってたんだぁ……亀さん、くれる?」

亀「いやだよ、私も私でよろしくするんだから」

善「ちぇっーっ」

笹「ところで、今日はどうだったんだい?」

信「どうだった…って何がだい?」

笹「もったいぶるのはよしなよ~。お通し直ぐに出したじゃねぇかぁ、コノヤロ」

亀「…妙なものと比べるねぇ。聞きたいんだろ?野球の結果ぁ」

笹「そうさぁ!うちの町内は勝ったのかい?
  隣町のヤツらを、こう、コテンパンにノシたんだろうなぁ?
  まぁ、でもね、お前ぇらがこうしてここで、昼から酒…
  それも上機嫌で“そば前”やっているとなりゃあ、な?
  だいたい分かるもんなんだけどよ~、でも、な?聞きてぇじゃねぇか。
  えぇ?さもないと、酒もう出さねぇよ、コノヤロ」

岩「もちろん、勝ったよ~!じゃなけりゃ、こうして飲んでねぇよぉ」

善「今日は気持ち良く勝ったぜぇ?
  ずっと見てたお天道様から、見物料取りてぇくらいだ」

笹「おうおう、いいねぇいいねぇ!
  それを聞いちゃあ、こっちも商いにハリが出てくらなぁな!
  商いは“飽きない”てぇ言うくらいだから、
  飽きずにやらなきゃいけねぇけれど、
  身内の勝ち負けによっちゃぁ、
  飽きるも何もやる気が起きねぇかも知れねぇ」

笹「よぉし、やる気出て来た!
  お前ぇら、蕎麦はどうするんでぇ。
  すぐ、茹でっちまって良いかい?」

信「おいおい、何ぃ言ってやがる、まだやり始めたばっかじゃねぇか。
  水差す気かぁ?」

笹「沸いた湯に水なんざ差したら、
  せっかくの湯が静まっちまうやな。
  水は差さねぇ。お前ぇらが飲んで食えば、
  俺っちのおあしになるからな。
  ただ、俺も働いている。
  見ろい、軒行く人も、ふたっ通りしかいねぇ。
  お前ぇらみたいに、お天道様が燦燦と照っている時分から、
  のべつ飲んでいる連中と、
  俺みてぇに、朝となり昼となり夜となり、
  のべつ働いている正直モンと…。
  本来本元ならぁ、
  お天道様が仕事をされている間ってぇのは、
  百歩譲って飲むにしたって、
  憚って飲まなくちゃいけねぇもんじゃねぇか。えぇ?
  それなのに、あぁ、それなのに、
  俺とお天道様は飲めねぇのに、
  お前ぇらは、飲んでいやがる」

信「なんでぇ、酒ぇ飲むのに、
  お天道様のご機嫌を聞いていちゃあ飲めねぇやな」

善「そうだぜぇ?
  蕎麦屋なんだから、口じゃなく、手ぇ動かせぇ。手をぉ」

岩「そろそろ盃(はい)が空になっちまったよぉ。次の酒、ちょうだいよ」

亀「なんなら、こちらで御酒、持って来ますよ。笹の冷蔵庫から。
  仕事の手間ぁ省けるだろう?」

笹「なんでぇなんでぇ!寄ってたかって!
  俺にも、おすそ分けを…ってぇ話だよ!えぇ?
  分かってたんじゃぁねぇのかい?」

信「へへ、まぁな。最初からそう言えってんだよ。盃、持ってんだろう?」

笹「ありがてぇありがてぇ。
  それじゃあ、仕事の合間だけれども、
  町内の勝利を祝って、やろうじゃねぇか、なぁ」

「ひの、ふの、みーの!かんぱー…」

*「あんたーッ!次の注文、入ったよー!」

笹「っと、とと。何だよ、ったくよぉ!
  頃合見計らって言ってねぇか。えぇ?
  この卓に、カカアの目ん玉でもついてんじゃねぇのかぁ?」

岩「え!?なに!?目玉ついてんのぉ?これにぃ?」

善「おいおい、気味ぃ悪いこたぁ言いっこ無しだぜぇ」

笹「モノの例えってぇ奴だよ。
  そんなカカアだったら、
  蕎麦屋たたんで、見世物小屋を商った方が儲からぁな」

信「まぁ、商いは“飽きない”ってぇ言うくらいだから…」

笹「飽きずにやれって?
  それはさっき俺が言ったんじゃねぇか!
  分かったよ、ちょっと行ってくらぁ。
  良いねぇ。
  そば前を乙に楽しんで、
  俺っち自慢の蕎麦でシャッと締める。
  お前ぇらは信州一の幸せモンだぜぇ。
  ま、ゆっくりしていきな。
  肴はどうすんだい」

信「まかせるよー」

笹「おう、任された」

そば笹が奥に引っ込みますと、
しばらくして、他所へ蕎麦が出て行き、
4人の卓には、追って4種の酒と、
4種の肴が並びます。
日本酒とは蔵元によって味わいが異なるもの。
それを飲み比べようじゃないか…と言う、
粋な趣向でございます。
味わいが違うんだから、
もちろん、合う肴も違って参ります。
これが合う、これがちょっと合わないかなぁ…
…なんて、とったりやったり、
「そば前」を楽しんでいる4人なのですが…。

岩「ねぇねぇ、ところでさぁ、“そば前”ってなぁに?」

善「んおっ、岩ちゃん、さっき笹坊が言ってたじゃねぇか」

岩「うん、言ってたよ。言ってたけどね、分かんないだよ」

善「…えー、そば前ってぇのは、あれだ、そば前はそば前だよ」

岩「そば前はそば前ってぇ、なぁに?」

善「うー、そば前はそば前ってぇのはそば前だよぉ…」

岩「そば前はそば前ってぇのはそば前…ってぇのは、なぁに?」

善「そば前はそば前ってぇのはそば前ってぇので、そば前がそば前の…」

善「お、おう、そんな事より、これどうだい。
  女鳥羽の泉の純米吟醸!
  青い瓶が綺麗なもんじゃねぇか!」

亀「おぅ、はぐらかしたね」

善「何を言ってんだぃ、亀さん。このね、女鳥羽の泉にね、
  つるむらさきとオクラのくずし豆腐和えってぇのが、合うんだよ」

岩「なぁなぁ、善さん。そば前…」

善「ささ、岩ちゃんもやっておくんな!
  つるむらさきもオクラもヌルヌルっとして粘りがあるよ。
  男は粘り腰じゃなきゃいけねぇ。粘り強くなきゃいけねぇ。
  つるむらさきの青い香と、オクラの青い香がまた別モンでね、
  どっちも夏っぽくてイナセじゃねぇか!
  そしてね、ダシと醤油を絡ませて叩き崩した豆腐と、
  これがまた合うんだよ~!
  カツブシおごっていてね、ダシの香がふわぁっとして、
  醤油の香がぷわぁっとして、
  口の中で、豆腐の豆の香が醤油と合って良いんだ!」

亀「おいおい、信さん、見てご覧よ。
  ほら、そば笹が乗り移ったみたいだよ」

信「おっ、確かにこりゃあ女鳥羽の泉、合うなぁ。
  スッキリしてんね。
  そこにつるむらさきも、オクラも豆腐も、
  どれをとっても香が乗っかってくらぁな。
  いいね。言う通り、カツブシの味と、醤油が良いんだな。
  そば笹のカエシか。
  舌の上に乗っかる肴の味と、
  酒の涼やかさが良い具合だ」

善「だろぉ!?
  さぁさぁ、そば前なんて忘れてみんなやっておくんな!」

岩「……で、その、そば前って、なんだい?」

善「う、うー、こ、この紫の茎の葉っぱじゃねぇかなー」

信「そりゃあ、つるむらさきだろ。言って名の如しじゃねぇか」

善「じゃ、じゃあ、さっきまでそこにあったの」

信「ありゃあ、うす焼きじゃねぇか。
  てめぇは何年、信州で暮らしてんだ。
  おっかぁに作ってもらったろ」

善「う、うー、うー……………」

岩「ありゃりゃ、固まっちゃったよ」

善「うー………わんっ!」

信「おいおい、おどかすんじゃねぇよ」

善「…そば前ぇ?さっき、笹の野郎が言っていた奴だろう?
  聞いたことはあるんだけどなぁ」

岩「善さん、分かんないの?」

善「あぁー、ちょいとお手上げってぇ奴だなぁ。
  信さん、分かるかい?」

信「えー…ほら、これを飲みねぇな。
  大信州の「純吟にごり」だ。
  冬に出たヤツを笹が取り置いていたもんだそうだ」

岩「白い!にごり酒ってぇヤツだね。
  トロッとしていて、米の香がいっぱいして旨いねぇ!」

善「信さん、それは俺がやったよう。
  知らないんだろぉ?」

信「馬鹿言え。えーと、あれだ。
  落語に「そば清」てぇのがあるだろ?
  あれは「そば好きの清兵衛さん」の話なんだ…
  だから、「そば前」ってぇのは、
  「そば好きの前田さん」の事だぜ」

岩「そば好きの前田さん~?
  この中に、前田さんなんていないよ?」

信「え、えーと」

亀「お、怪しくなってきた怪しくなってきた」

善「お、こりゃあ旨いね。大信州。
  夏の濁酒は滋養に良いって言うじゃねぇか。
  まさにそれだよ。もったりしてらぁ。
  これが舌に絡んで旨いね。
  原酒だね。強くって味にグイッと持ってかれるね」

亀「そうだね、善兵衛さん。
  これね、ほれ、このズッキーニの天麩羅と合うよ。
  ズッキーニなんて意外な天麩羅だけどね、
  これがまた瑞々しいのと、
  サクサクなのとがね、良い塩梅で混ざってね、
  ズッキーニの甘味が良くって旨いよ。
  そこに、大信州の力強い旨さが合わさって来るでしょう。
  ねぇ、どうだい。
  これ、旨いねぇ」

信「そうだ!善兵衛さん!」

善「あいよ、なんだい。
  今、大信州とズッキーニをやってるところなんだよ」

信「違うよ、お前さんだけど、お前さんじゃないんだよ。
 「そば前」の「前(まえ)」ってぇのは、「ゼン」って読むだろう?
 「そば」に「善い」で「そば善」で、
 「そば好きの善兵衛さん」…
  だから、そばが茹でて来たら、
  善兵衛さんの前において、「そばゼン」ってぇヤツだ!」

岩「善兵衛さんの前にそば置くから「そば前」ってぇの?
  そばマエとは違うじゃねぇかよ~。
  ウソだろう~?」

信「…ウソだよぉ。すまねぇ。あともうちょっとのところ…
  喉の奥に、こう、ね、つかえてんだよ。
  聞いた事はあるんだ。
  でも、喉の奥に、こう…
  酒をネ、飲んで通せば出て来るかも知れねぇ」

信「…ごくっ、ごくっ」

信「……うまい!」

亀「ダメだね、これじゃあね。
  でもまぁ、ズッキーニの天麩羅ってぇモンが旨いのは知らなかった。
  大信州のにごり酒も良いね。
  酒の体がしっかりしているから、
  油モンにも合うんだねぇ」

岩「亀さんは知ってンのぉ?そば前」

亀「ほら、来なすった。
  ささ、これを飲んでくださいよ。
  「粂次郎」純米原酒だよ。アルプス正宗のお酒だね」

岩「なんだか、あたたかい?」

亀「そうさ、ぬる燗くらいが良いって言うからね。
  笹がお酒をあたためてくれたんだよ。
  きな粉の様な、米を搗き蒸した様な、
  何とも、こう、深い香がするじゃあないか」

信「おいおい、これは知らない流れじゃあねぇのかい?」

岩「ほっこりして、おいしいねぇ…で、亀さん、そば前って…?」

亀「いいからいいから。
  ささ、これをやっておくんな。焼き味噌だけれどね、
  味醂やお砂糖で甘く仕立てた上に、
  ネギや胡桃をたっぷり入れてあるんだ。
  良い香だろう」

岩「ん~~!ちょっと焦げたところが良いんだねぇ」

亀「ささ、熱い所を箸で摘んでやってみておくれ。
  そそ、熱いからね、気をつけて―……どうだい?」

岩「わぁ!こりゃあ旨いや!甘くって、ちょっと塩っ辛くて、
  胡桃やネギがね、すっごく旨いんだぁ!」

亀「そこで「粂次郎」だよ~。どうだい?」

岩「わ、わわわ、甘さが増えるね、味噌の味も増えるね!
  いっぱい色んな味が出て来るよ!」

亀「引き立つ…てぇのはそう言うのを言うんだよ。
  酒が味噌の味を引き立たせてくれているんだ」

亀「さぁ、小難しいことは忘れて飲もうじゃねぇか!」

岩「そうだね、亀さん!」

善「おいおい、そりゃないぜぇ?亀さんよぉ。
  そば前はどうしたい?」

岩「あっ、そうだよ。亀さん、そば前ってなんだい?」

亀「ぐぅ…」

信「なんだい“ぐぅ”って」

亀「ぐうの音も出ないから、先に出してみた」

信「なんだい、こんだけ雁首揃えて、誰も分からないのかい?」

善「聞いたことはあるんだよなぁ。
  笹の字が、ついぞ言った時には、
  「あぁ、そりゃあ乙なもんだな」と思ったんだけどなぁ」

信「ずいぶんと粋な催し物みたいじゃないか。
  それか食いモンなのか?
  そば前、やってみてぇなぁ」

亀「そば前、そば前…そばで、前…
  そばで、出前…?
  あれかい、どっか別の店からそばの出前を取るとか、どうでしょう?」

信「どうでしょって…
  そんな事をしたら、笹の字が泣いて怒るよ。
  ひどいじゃないか、ふざけんなって」

善「なぁなぁ、考え込んでると酔いが覚めて来ちまうぜぇ?
  気にせず美味しく酒ぇ、かっ食らって、
  そば笹のそばを手繰って、締めようじゃねぇか」

信「その締めのそばを、もっと乙に食う方法だから、
  やってみたいんじゃないか」

善「…あれ、あれだけ「そば前ぇ、そば前ぇ」って言ってた、
  岩ちゃん、静かになっちゃったね。
  おい、岩ちゃん!何やってんの?」

岩「…えぇ?酒ぇ、飲んでるよ。岩波ってぇトコのね、
  本醸造原酒ってぇの。
  ちくわの蒲焼があるからね、これでやってんの」

信「おいおい、ひとり締めはねぇやなぁ。
  分けとくれよ」

岩「これね、岩波とちくわと行くとね、
  本当に旨いんだよ。分けない訳じゃないけどね、
  おいらの分もちゃんと取っておいておくれよ」

善「ずいぶん、お気に入りだね」

亀「おっ、この岩波ってぇの。甘いね。
  甘いけれど、ギュッて最後に辛く締めるね。
  ははぁ、こう言うのが、
  甘くタレつけた蒲焼に合うのか」

岩「ね、うまいんだよ~!」

善「学校給食を思い出すなぁ。ちくわの蒲焼。
  ガキの時分、よく食ったなぁ」

信「なんだい、その頃から酒ぇ飲んでたのかい?」

善「よせやい、学校じゃ飲まなかった」

亀「あはは、そりゃ結構だね」

「そば前」とは、何か…
男4人で考えてはみますが、
一向に、答えが見えて参りません。
そうこうしております内に、
「そば笹」が自慢のそばを持って馳せ参じます。

笹「よーし!おまちどう!そばぁ、持って来たぜ!」

善「わぁ、来ちゃったよ」

笹「なんだよ、来て悪いか?えぇ?
  いつもと違うじゃねぇか。
  普段は手放しじゃねぇか、
  わぁ~!…なんて、手ぇ叩いて喜ぶくせに」

亀「あぁ、いや、なんでもないんだ。なんでもない」

信「そうそう、なぁ?なんでもないなんでもない」

善「なんでもない、なんでもない」

岩「ナムホウレンゲキョウ、ナムアミダブツ」

笹「なんだい、念仏まで飛び出しちゃったよ。
  気味ぃ悪いじゃねぇか。
  ま、いいやな。
  今日はな、また一層の出来だよ。
  打っていて、こう、良い心持ちになるくらいの出来なんだ。
  さぁさぁ、食ってみてくんな!
  俺ぁ、次のがあるからよ!
  じゃあな!」

―――…ってんで、そば笹は昼時分の忙しさ、
息つく暇もない、商売繁盛、賑やかな喧騒の中、
ひときわ戦場となっているのでしょう、
厨(くりや)へと戻って行きました。

信さん、岩さん、亀田屋さん、善兵衛さんは、
面ぁ見合わせて、こう、どうにも出来ない。
岩さんが亀田屋さんの様子を伺うと、
亀田屋さんは善兵衛さんの顔をひょっと覗き、
善兵衛さんは信さんの顔を、信さんは岩さんを…
…ってんで、互いの面を見回しあって、まんじりとも致しません。
「さぁ、そばが来たよーッ」と受けて食らうには、
こう、腹にいちもつ控えると申しますか、
ここまで来たなら「そば前」の解決を見てから、
そばを食らいたいと考える次第でございます。

天下に名高き信州信濃のそばっ食いとして、
「そば前」なる乙なものを知らないのは恥。
生まれた時からそばの花を握り、
産湯はそばの茹で汁、
そばが育つと同じか、
身の丈ならばそれ以上に育ってきた生粋の信州っ子。
本日ばかりは、すぐに箸を伸ばす訳にも行くめぇと、
じりじりと、
そばが仇であるかの様に、じっと見つめて、
お悩みの様子でございます。

女「あい、すみません。うちのひと、います?」

亀「おお!?お?!お寿々(すず)じゃないか!どうした!?」

寿「あーら、おまえさん。やっぱりここにいたね。
  どうしたもこうしたもないよ!
  あらあら、大の悪ガキ連中が揃っておいでじゃないか。
  顔赤くして、昼間っから酒かい?」

亀「お、おお、そうですよ。今日は野球も勝ったし、
  天気も良いし、お天道様、こんちは~…なんつって、
  飲むには良い日和じゃないか」

寿「ええ、良い日和でしょうよ。私も用事があるのよ。
  休みの日くらい子の面倒を見ようってぇ気にならないもんかねぇ。
  子供たち、真っ直ぐに家に帰って来ちゃって、
  私が、出掛けられないじゃないか」

亀「な、なんだい。子供が真っ直ぐ家に帰っちゃいけねぇのかい?」

寿「いけなかないけどさぁ。今日はね、近所のおかみさん方と用事があるんだよぉ」

亀「用事ってなんだい?」

寿「えぇ、その、なんだい、ねぇ?……女子会」

亀「女子会!?お寿々がぁ?今ぁ流行りのぉ?よせやい!」

寿「なにさ!女子会に年齢制限も入場制限も何にもないんだよ!
  ほら!子供たち連れて来たから、
  引き取っておくれよ!お園、入っておいで」

園「おっとう~」

亀「よぅよぅ、お園、来たのか。
  なんだい、俺ぁみんなとこうしてやってんだよぉ?
  コブ付きじゃあ、楽しめねぇじゃねぇか」

寿「何言ってんだい。近所のおかみさんと…って言ったろ?
  みんな来てるよ!」

お鶴「ごめんくださいまし」

お高「くださいまし」

お亀「くださいまし」

信「お鶴!お前ぇも女子会か?
  あぁ、お高さんにお亀さんって、本当にみんな揃ってやがる」

*「おっとう~!とうちゃーん!」

善「おいおい、よしておくれよ。俺にもコブが出来ちまったよ~」

寿「さ、みなさん。用事も済みましたし、行きましょうか」

亀「ちょ、ちょっと待っておくれ。ガキども、どうすんだって?」

寿「もちろん、おまえさん達ン所に置いて行くんだよ。
  その為に、ここに来たんですもの。
  今日はね、お休みだから、お前さんが当番なの。ね?
  それじゃ、よろしく~」

亀「あっ、おい!なぁ!お寿々!おいっ…って、行っちまった」

信「相変わらずだねぇ、お寿々さんは…。
  亀さんトコだけじゃなくて、俺らぁ全員を巻き込みやがった」

亀「…その威勢が良いとこなんざ、たまらねぇなぁ」

信「また出たよ。何度のろけりゃあ済むんだい」

亀「見たかよ。そば屋の暖簾をくぐってしゃべり倒しの、
  颯爽と風切って出て行くなんざ、
  並の女にゃあ出来ねぇこったよ」

善「違いねぇ。そんなのうちのカカアにやられた日には、
  尻まくって逃げ出すよ。俺が」

子「とうちゃん、おなか空いた~」

信「おう、なんだい。ひでぇ女衆だなぁ。
  食わしてもらってねぇのか」

子「うん、そうなの。
  ねぇ、とうちゃん。
  そば笹ん中、良いにおいするね。
  これ、あのねぇ、カツブシおごってんでしょ?」

信「言うじゃねぇか。えぇ?
  おーい!笹坊!頼むぜ~!」

笹「おう。おっ、なんだよ~。頭数が倍になってんじゃねぇか」

信「悪いな!ガキどもに、そばでも丼物でもこしらえてやってくんねぇかな」

笹「おう、そりゃあ良いけどな…
  …おいおい、お前ぇら、俺が打ったそば、食ってねぇじゃねぇか」

信「お?お、おう。ちょうどな、食おうかなぁ…
  …てぇ時にカカア連中がやって来て、
  パアパア捲くし立てて、ガキ置いて行っちまったもんで」

笹「おいおい!よしておくれよ!
  そばの命は短いんだぜ~!味が落ちるんだよ~!
  上がったら、すぐに食ってくれねぇと!なぁ!
  それを知らない信州信濃のそばっ食いたる、
  お前ぇらじゃあねぇだろう?
  ほらぁ、見ろい!乾いちまって、
  そばッ面にハリがねぇじゃねぇか!」

信「すまねぇ。まぁ、こっちもいろいろあってなぁ」

笹「勘弁しておくれよ。
  まぁ、ガキども増えてるし、
  …亀田屋さんトコのお寿々さんだろう?
  声がよく通って、中まで聞こえていたぜぇ?」

子「笹のおじちゃん、ならあたいがそのそば食べるよ」

笹「いやいや、良いんでぇ。ありがとうな。
  これはうちで、カケにでもして食っちまうからよ。
  作り直してくらぁ。ちょっと待ってな!」

信「すまねぇな!頼むよー!
  ……いやぁ、そば笹に悪いことしちまったなぁ」

亀「そうだね、そば、勿体無くしちまったねぇ」

善「…そば前にこだわり過ぎたのが、やっぱいけねぇんじゃねぇかなぁ」

信「いやいや、それはそれ、これはこれだ。
  そば前なくして、そばを語るなかれだ。
  まだ、詰まるところ何も分かっちゃいねぇ」

岩「そば前なくして、そばを語るなかれぇ?
  いつからそんなになったのぉ?」

子「とうちゃん、そば前ってぇなに?」

信「う、うー。そば前ってぇのは…うー…。
  ようし、こうなったら腹ぁ決めたぜ!
  そば笹に恥を忍んで聞こうじゃねぇか!
  蛇の道は蛇、
  蕎麦屋のそば笹が知らねぇ訳はねぇしな!
  次、そばぁ持って来る時に聞こうじゃねぇか!
  そうして、気持ち良く「そば前」拝んで、
  みんなで、そばをたぐろうぜ~!」

善「そうだな、そうしようぜ!」

――…ってんで、ひとしきり。

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笹「よーし!おまちどう!
  どうだ、ガキ共の分も含めて、大ザルに設えたぜ!
  さぁ、たんっと食っておくんな!」

子「とうちゃーん!蕎麦が山の様だよ~!」

善「こりゃあ豪儀だねぇ!贅沢なもんじゃねぇか!」

わっ…と箸が伸びますが、信さん、皆を制止致しまして…

信「おうおう、おいこら、箸を付けんじゃねぇよ、ちっと待ちなぁ」

子「なんでー?」

岩「そうだぜぇ、食おう食おう!」

信「だっ、岩ちゃん!
  てめぇまで一緒になって、ピーチクパーチク言うこたぁねぇんだ」
  乙なね、先っちょがあるだろうがよ、えぇ?
  聞いてから、やってからでも遅くねぇって話をしたじゃねぇか。
  この蕎麦をもっと旨くして食おうって趣向なんだ。
  おう!笹の字、信州信濃の蕎麦ッ食い、
  恥を忍んで聞きてぇ事がある!」

笹「おう、なんだい。改まって」

信「酒は旨かった!肴も旨かった!
  ここまで十分に、満足しているが、
  そばを食う前ぇに、
  「そば前」てぇのをやってみたいんだ!
  ガキども含め、8名、頭を下げて願い奉るぜ!
  “そば前”ってぇのは、なんなんだい?」

笹「そば前だぁ?なに馬鹿言ってやがる」

笹「そばを先に食え」












あとがき……………………………酒落語・その四

気楽な所を一生懸命やって参りまして、
あとちょっと…と言う所でございます。
「酒 落語」の第4席「そば前」をお読み頂きまして、
先ずは、誠に御礼、申し上げます。

何とも長い噺になってしまいましたが、
マクラとか…そう言ったものが長いてんで、
実のところ、ネタとしては、
そう長くも無い、短い話なのかなぁ…なんて、
思うところもあったりなんか致しますが。

何より、新作落語には限りがありませんから、
これが師匠方の作品とかぶらない事を、
心から祈りつつ、更新をしている次第であります。

えー、
落語には「そば」を扱うものが多く、
有名な「時そば」、
「蛇含草」の別名もある「そば清」、
他に「そばの殿様」、「疝気の虫」など、
様々でございます。
これらとも、かぶりない様に仕立てたつもりですが、
もし、何か間違いがあったとするならば、
申し訳ない所でございます。

サゲは、
これまで「そば前」をさんざやって来た連中が、
「そば前」とは何か…聞いた先の答えになっております。

「そば前」…本来ならば「そばの前に酒、肴をやる」ことを言い、
「そばは後ろ」なのですが、
そば笹から出た答えは「そばを先に食え」――…
本来なら蕎麦のプロ、
そば笹からは「そばを後ろに、前に酒、肴、いっぺぇやることだ」とでも、
解説があるところに
逆に「そばを前に食え」…と言う事で、
11種あると言われる落語のオチの種類では、
これは「考えオチ」に区別されるものでしょうか。
いや、「仕込みオチ」ですかね。
何と言っても、
「そば前」をやりながら「そば前とは何か…」と、話し合う訳ですから。

書き始めた頃は、
柳家さん喬師匠や瀧川鯉昇師匠のイメージで、
書き口を整えていたつもりだったのですが、
この期間中に、古今亭圓菊師匠のCD-BOXを購入致しまして、
えぇ、これが人生で初めて購入する落語CDとなったのですが、
これを四六時中聞いておりますてぇと、
刷り込み…ってございますでしょう?
雛鳥が最初に見たものを親と思うってぇヤツ、
これよろしく、圓菊さんのイメージが、
書き口の中で現れ始めまして、
なんとも影響されやすい所を感じた次第でございます。

どうしてもどうしても書いてみたくて…
この「あとがき」の冒頭も、
圓菊さんの冒頭で、
「誘惑箇所の多いところ~」から続く、くだり。
自分には、
「そのまま気楽に…楽にして聞いて頂ければ。
 一生懸命、やって行きます」…と聞こえました。
敬意を心から込めまして、使わせて頂きました。
本当に圓菊さん、1度、聞いて頂きたい。
7月9日の菊生百夜、落語会で、
お弟子さんである古今亭菊生師匠にお聞きしたところ、
圓菊さんの最も脂が乗っていた時代の収録だそうです。
どの噺も、とても良い内容でした。

どうでしょう、「そば前」…
みなさんは、された事がおありでしょうか。
蕎麦屋と言うものは、日本酒の揃いが良い…
…なんて言われる根源の様なネタでございます。
「そば前」が粋だってんで、皆さんおやりになる…
だからこそ、日本酒の揃いが良いのだと感じておりますが。

かく申す所の私は、蕎麦屋では、その経験がございません。
けれども、
松本市内の私が思ういちばん旨い蕎麦を出す店は、
実のところ、居酒屋さんでして、
ここで〆に蕎麦を頂く…と言う事は、
数年前より、
最高に幸せな気分になる呑みのひと時でございます。

夏と日本酒…と申しますと、
「柳陰(やなぎかげ)」と呼ばれる、
今ではあまりお耳に入らない言葉がございます。
夏の風習、大名酒として、
非常に贅沢なもので、
落語「青菜」の中にも登場いたします。

「そば前」として、柳陰を登場人物に飲ませてみようか…
そんな風に思ったりもしたのでございますが、
いやいや、
町民文化の蕎麦と大名文化の柳陰を、
いくら身分制度のない現代噺とは言え、
一緒には出来ないなぁ、合わないなぁ…なんて考えました。
けれども、
それを一緒に出来てしまうのが、
逆さになって今らしいのかも知れませんが。

結局は、料理と合わないのではないか…と、考えました。
お大名様が暑い時分に癒されるべくたしなんだ「柳陰」は、
今で申しますと…
えぇ、非常にざっくばらんに例えますならば、
焼酎と味醂のカクテルになるんだそうです。

これをとったりやったり、
料理と合わせている皆の衆のイメージは、
ちょっと思い浮かばないなぁ…なんて、思う訳でございまして、
本編からこぼれたお話でございます。

今回、登場した日本酒は全て実在しております。
特に蔵元さん方にお銘柄の使用許可を得た訳ではなく、
あくまで同人誌的に書いております。
料理は想像で、
「この蔵の日本酒には、これを合わせると旨そうだ」…
…そう思ったものを書き添えました。

登場人物は登場した日本酒蔵が存在する、
長野県は松本平、
松本酒造組合の皆々様から、
えぇ、こちらも勝手ながらにご拝借を致しました。

中心人物の4名様。
信さんは島立の大信州酒造、
岩さんは里山辺の岩波酒造、
亀田屋さんは島立の亀田屋酒造店、
善兵衛さんは、松本市街地の善哉酒造から。

岩さんには、与太さん的ポジションを担って頂きました。
亀田屋さんは、ちょっと旦那っぽいイメージ。
信さん、善兵衛さんが進行役と言った所でしょうか。

舞台となる、
「そば笹」は島立の笹井酒造、
先ず1杯で飲みました「笹の誉」を醸している蔵元です。
登場する特別純米生は、
今夏、ナンバーワンヒットの美味しさでした。
普段通り4合瓶を買った後、
もっと飲みたくて1升瓶を買ったほど。

途中、ミョウガを採って来てくれたと言う、
「坂北の山さん」は、
筑北村坂北の山清酒造から。

4人のおかみさん…女子会に集うご婦人は、
お寿々は洗馬の美寿々酒造、
お鶴は松本市市街地の奥沢商会“深志鶴”、
お高は塩尻の高波酒造、
お亀は塩尻の笑亀酒造から。

子供衆で唯一名前の出て来た、
お園は、酔園…EH酒造から…となっております。

明科の廣田泉、四賀村の月光については、
使おうと思いながらも、入る隙がございませんでした。
何卒、あしからず…と言う所でございます。

さて。
長々と書いて参りました酒落語。
そろそろお時間となって参りました。
それでは、これにて。
読んで下さった方のご一笑になりましたらば、幸いでございます。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

酒 宗夜
酒落語・第4席「そば前」
2011年7月26日。

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落語書くときに思っていることなんざ、そんなにないんです。
ただ、酒が取り巻く、こう…何かが好きで、
これを読んでくれた方が笑ってくれたならって考えるだけで、
すごく楽しい。

蕎麦の写真は穂高有明の「くるまや」名物、
「気狂いそば(5人前)」です。
先日、美味しく2人で食べ干しまして、
その際のお写真を、
作中の蕎麦の盛りのイメージとして、
勝手ながらに使わせて頂きました。
ありがとうございました。

次回は再び中野市に戻って、
「中野の土ひな」と言う一席を考えております。
もし、よろしければお誘い合わせの上、
ご高覧頂けましたら幸いです。

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