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2011年10月19日 (水)

酒落語「中野土びな」

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えー、誘惑箇所の多い中、
いっぱいのお運び様でございます。
気楽なところを、一生懸命、書きますので、
お付き合いの程、お願い申し上げておきます。

えー、酒呑みのお噂ぁ……なんてものは、
えぇ、時分よくございますもので、
こと「酒落語」なんて題しておりますし、
このね、ブログタイトルだって「酒 宗夜」なんて申しますので、
酒呑みのお噂は尽きない、引く手あまた…と言った所でございます。
全部、行っちまうてぇと、おあしが出ますんで、
お噂伺いでお止まり様ァ…と、させて頂いておりますが。
えー、
本日のところは、酒呑みのお噂ではなく、
酒造りのお噂…
…お噂だなんて、早々あるもんじゃありませんが、
一席、お付き合いを願いまして…。

当節、長野県中野市においては、様々なお祭りがございます。
信州の北っ側に位置しておりまして、
長野市からは林檎畑の国道を抜けて参ります。
風光明媚、実にのんびりとした良い街でございます。

夏を前に、梅雨の頃合には、
薔薇の花が街中を彩りまして、たいへんに美しい。
「なかのバラまつり」がございます。
市内、一本木公園の650種類の薔薇が咲き競うんだそうで。
雨露に濡れる花々とは、かくも美しいものなのか。
薔薇なんてぇ花は、豪奢な様子であり、
どこかアダっぽさもあって、実に美しいもの。
ほら、棘もございましょう?ねぇ?
いやいや、廓噺じゃないんで、
そんなイロを申し上げるつもりは無いんですが。
夏は市民祭としまして、「ションションまつり」…
盆踊りの様な催しものですな。中野祇園祭なんてぇのもあります。

冬は雪深い土地でございますから、
ご存知でしょうか、雪深い象徴でね、信号機、
あの赤青黄色がね、縦長なんです。
皆さんがご覧になっている信号機てぇのは、横長でしょう?
それだと雪が積もって重みで、ひん曲がるってんで、
縦長になっているんです。

冬を過ぎますてぇとやって来るのは春です。
郷里の作曲家であります、中山晋平生誕祭もありますな。
「しゃぼん玉」や「てるてる坊主」、「兎のダンス」などの童謡、
流行歌から新民謡まで3000曲ほどを作曲した郷里の偉人です。
ご存知ですかね、スポーツの応援歌で「東京音頭」なんて言うのも、
中山晋平先生の作品なんだそうで。
流行歌には「カチューシャの唄」てぇのがありまして、
これにあやかったマラソン大会なんかも中野市では開かれておりますな。

中野市の春と申しますと、
信濃毎日新聞にも取り上げられる街を上げてのイベントがございます。
「中野ひな市」と申しまして、
中野市の伝統工芸品「中野土びな」のお祭でございます。
近い日程で、土人形絵付けコンテストも開かれておりましてね、
中野市の3月の終わりと言うものは、
街が土びな一色となり、これを済ませて春を迎える様な心持ちだそうです。
実際に地図でご覧になるなり、
よろしければ中野の街を散策して頂ければ、いちばんなんですが、
中野市には人形を扱うお店が実に多く存在してございます。
市内には、中野土人形資料館もございますし、
そうですね、
土人形の名人なんてぇ方の人形には、
購入希望のお客さんが殺到して抽選にもなるんだそうで。

えー、酒、日本酒てぇのは、
厳冬期、真冬の寒い時期に盛んに醸されるものです。
早いお蔵さんで10月くらいから、
春になって3月、4月にもなって参りますと、
「甑倒し」「どう転ばし」なんて言ってね、
米を蒸す作業が最後になるから、
使う道具を転がしておくんだってぇ事で、
造りみんな終えてしまうまで、もう一息なんて申しますよ。
もっとも、テレビで大きくコマーシャルを打って、
酒屋さんだけでなく、
スーパー、コンビニ、どこでもお見掛けする大手の日本酒なんてぇものは、
冬でなくても酒が醸せる環境を作っちまうんだそうで、
年がら年中、酒造りをして、
消費の為の供給を支えているんだそうです。
その為には大きな大きな設備が必要ですから、
なかなか出来る事じゃありませんから、ね、
多くの造り酒屋てぇものは、冬を待って、
酒造りに適した季節を待った上で、毎年の仕込みを行う訳ですな。

信州中野に「井賀屋酒造場」なる蔵元さんがございます。
小古井宗一杜氏…若い杜氏さんが、非常に熱心に醸しております。
表戸には「一滴入魂」と大きく書いてございまして、
酒の一滴一滴に魂を込める、魂を込めて醸すの意、
その文字に杜氏の心意気が見えますな。

ある寒い晩、夜更けに麹(こうじ)の様子を見に、
室(むろ)に入って作業をしている折、
トン…トン…と木戸を叩く音が致します。

*「もし、もし!」

*「もし、もし!」

杜「なんだい、こんな夜にィ」

*「土びなでございます!
  どうぞ、お開けください」

「はて?」と、
杜氏は開けようと、
手を掛けた引き戸、ピタッ…と止めます。
耳馴染みないの声、そして言葉の並び。
――土びな。
言われて、それが何の事だか…
分からない訳じゃありませんが、
しかし、なんのイタズラだか分からない。

こんな夜更け。
時計を見ると、「ははぁ」…頃合、丑三つ時でございます。

杜「そうか、きっと俺を驚かそうてなぁ腹だろう」

シンと静かに雪の降る寒ぅい晩でございますから、
多少の賑やかでも、まぁ、良いもんだろうと…。

杜「どれ、乗ってやるか」

杜氏が蔵の戸を開けますと、そこには誰もいない。
雪がシンシンと降りしきるばかり。
“あぁ、やっぱりなぁ”と思います。
「ワッ」と出て来て、脅かすつもりだろう。

杜「誰だーい?」

*「あたしですー。
  ここですー」

蔵の明かりが雪の上にサッと筋を作ります。
暗がり、雪の上が、いやにまぶしく映る中には、
見渡してみましても誰もおりませんし、出て来る気配も、またございません。

杜「おーい?」

*「はーい」

声は静かな蔵に響くばかり。

杜「なんだい、タチの悪ぃイタズラじゃねぇか!
  おーい!誰だーい!
  俺ぁ、麹の面倒を見なくちゃいけねぇ。
  暇な身じゃあねぇんだ!」

*「なら、あたしもいっしょに見ますー」

杜「誰だーい?
  丸さんかい、それともてっつぁんかい?」

*「ここです、ここ!
  旦那の股ぐらの下でさぁ」

姿はないが…と思って、
声のする方を…足元を見やると土びながいる。
ぽてっとした、福福しいお顔の大黒様のお人形。
大黒様は、これまたぽてっとしたフグに乗って、
杜氏の股ぐらの下におります。

杜「はて、こんな所に、誰が飾ったんだろうか」

土「いよっ、旦那ぁ!お初にお目に掛かります」

杜「おっわっ?!わわわわわ!
  しゃべった!?う、浮いた!?わわわわ!」

土びなは浮いて、
杜氏の目の高さまで、ふわりふわり昇って参ります。

土「そうです。しゃべるんです。浮くんです。
  どうも」

杜「ど、どうも?
  なんでぇ、最近の土びなてぇのは喋るのか。
  あっ、そうだ。どうせ誰かが、
  糸でもって、ツィーッと動かしてんだろ。
  誰だい!出て来なよぉ!」

フッ、フッ…と土びなの周囲に手をかざしますが、
杜氏の手は宙をさ迷うばかり。

土「いーええ、あたし以外、こちらには誰もおりませんよ」

杜「そ、その“あたし”が、こんな夜更けに、何の用だってんだい」

土「えぇ、お手伝いにあがりましてね。
  えぇ、入ってようがすか。
  寒いとねー、割れるなんて事はないんですがね、
  あんまりよろしい事もないもんでしてね。
  雪は解けると水になりますしねぇ」

ふわりふわりと杜氏の脇を過ぎ――…

土「はぁ、よいしょっと」

日頃、杜氏が拝んでおります酒造の神様、
「松尾様」の神棚に乗ります。
土びな、見てくれは大黒様ですから、
何だかありがたいものの様に感じられますが、
杜氏、こりゃあ、ひょっとすると、
狐か狸か、自然の多い土地ですから、
巣穴から間違って出て来て、俺を化かそうとしているんじゃねぇか…
…そう疑うのも、ごく当たり前の事で…。

杜「ええー、土びな様が、何の御用でしょう?」

土「へぇ、
  こちらは井賀屋さんですな。
  で、旦那が杜氏さんであらせられると。
  お酒造りの総責任者さんでございますな?」

杜「へぇ、そりゃあ違いないですが…
  狐狸妖怪のくせに、よくご存知で」

土「狐狸妖怪?
  あんなケダモノ風情と一緒にされちゃ困りますな。
  アタシは、えぇ、土びな協会からね、派遣されて参りました、
  フグの大黒と申します。
  れっきとした土びなでございます。どうも」

杜「ど、どうも…
  なんだい、どうも言う事が妙だね」

杜「協会ってなんだい、あれかい?
  町内のオジサンたちとか、人形店さんが組んでる…?」

土「いやいや、それは表向きってぇヤツですよ。
  あたしはね、
  正真正銘の土びなの協会員なんです。
  土びなの土びなによる土びなの為の協会なんです」

杜「えぇ?よぉく分からんなぁ。最近はそうやって化かすのかい?」

土「化かす訳じゃあありませんや。
  んー、お分かりになりませんかねぇ。
  主には――…ご存知でしょ?土人形資料館」

杜「おう、知ってるよ。すぐそこにあるじゃねぇか」

土「へぇ、そうです。
  あちらから雪の中を飛んで参りましてね。
  あのケースの中が集会場になっているんですがねー。
  まぁ、とにかく、功労賞って事でね。
  井賀屋さん所に行っておいで…と、
  土びなの神様が神通力をお与え下さいましてね。
  あたしがこちらにいる…なんてぇ事になっております」

杜「いやいや、待っておくんな。
  化けてんじゃねぇってぇと、夢か。
  俺ぁ、夢を見ているんだな」

土「おお、夢とお疑いですか。
  そうですか。
  でしたらぁ、あたしの乗っているフグにでも、
  向こう脛、噛ませましょうか」

言うか言わないかの内に、
大黒様が乗るフグがひらりと宙を泳ぐ…
…空を飛ぶんだか、妙な心持ちですが、
杜氏の元まで降りて参りまして、ひと噛み…。

杜「痛いッ!?
  夢じゃないー!?
  フグ、コンチクショウ!
  歯型が付いちまったよ。
  女につねられた後なら見せられるが、
  こんなもん恥ずかしくて、表ェ歩けねぇじゃねぇか!
  んじゃあ、あれだあれだ!
  俺ぁ疲れているに違えねぇ。
  な!酒造りの真っ最中だ。
  あんまり寝れねぇしなぁ!」

土「いよっ、そう!
  そうそうそう、それです!それなんです!
  そのお手伝いに派遣されて来たんです。
  あたし。
  ね、おわかりでしょう」

杜「求人を出した覚えはねぇぜぇ?
  それも土びなぁ、採用するなんざ聞いたことがねぇや。
  俺じゃねぇなら、うちの社長のツテか何かあるのかい?」

土「土びな協会のハローワーク経由ではないんでございます。
  協会では、毎年ィ年間功労賞を企画してましてね。
  本年度は、いよっ!井賀屋さん!
  杜氏の旦那が選ばれた……と言う事になっております!
  おめでとうございます!」

杜「めでてぇ…とは言うけどよ、
  俺ぁ、これっぽっちも身に覚えがねぇんだが…。
  酒造りが身上だ。
  土人形に労ってもらう仕事なんざしてねぇぜぇ?」

土「いやいやご謙遜を。
  見ている土人形は見ているんです。
  あの井賀屋さんに奉公に上がると大事にしてもらえる…
  …なんて滅法なお噂で。
  土人形の上総屋さんでも、
  “あぁ、あたし今度は井賀屋さんに上がりたいわぁ!”…
  …て、よぉく耳にしますよ~!」

杜「なんでぇ上総屋って、え?口入屋?土人形界の?
  なんだか、よく分からなくなってきた…」

土「ささ、蔵のお仕事がございましょう?
  お手伝い致しますんで、ささ、どうぞ蔵の奥へ。
  汚いところですが、どうぞどうぞ」

杜「お、おお、おいこら、俺の蔵だい。
  これっぽっちも汚くないぜぇ?
  酒造りは清潔第一なんだ!
  塵芥のひとつも落としちゃいねぇぜ!」

土「なるほど、流石は杜氏の旦那だ。
  さぁさぁ、胸を張っているお暇があるならば、
  蔵仕事にね、行きましょうや」

杜「おお、そうだな。
  麹の温度を見ている途中だったんだ。
  夢、見ている場合じゃねぇんだった」

土「麹の温度!
  いよっ!早速、私の出番ですね」

杜「出番てなんだい」

土「お手伝いさせてくださいよ」

杜「んー、なんだか妙な心持ちだなぁ。
  幽霊なのか化け物なのか分からねぇが、
  なんだい、お前ぇさん、手伝えんのかい?」

土「へぇ、その為に参りましたんで」

土びなは、ふわりふわりと宙に浮いて胸を張る…
…様に、声高に答えます。

杜「…浮いているなぁ」

土「へぇ、浮いておりますが。
  霊験あらたかな我が主の神通力のおかげでございます。
  こうしてしっかりご奉公させて頂きますんで」

杜「…まぁ、こうしちゃいられねぇや」

延々と話し続けていても仕事は進みません。
杜氏は溜飲の下がらないままとは言え、
大切な酒造りの手を止める訳には行くまいと、
麹室の重い扉を、グッと力を込めまして開けます。
外気の冷たさとは打って変わる室内。
蒸した様な空気の重さと、板張りの床を己が歩く音、
呼気の音だけが響く静かな世界。

土「おお、あったかいですな」

杜「そうだ。麹室ってぇのは33,4℃ある。
  湿度も調節してやらなくちゃいけねぇ。
  そこいらよりはずっと高めだ。
  ちょっと蒸すだろう。これが麹室って言うんだ」

杜氏が山盛りになっております米粒…
蒸米に麹菌を振り掛けたもの、
生育中の麹に刺さっております温度計を手に取ります。

杜「うん、温度が上がってきている。
  ここで切り返そう」

杜氏は山になっております麹を、
ザーッザザー…と広げて行きます。
満遍なく広げ、また戻すと言う作業。
麹菌が蒸米に入り込む中で熱が生まれます。
集まった所は熱く、外気と接する縁はそうでもない…
この温度ムラは麹全体の力の偏りになりますので、

ザーッザザー…

…それを均一にほぐしてやって、また山を造る。

土「ほうほう、杜氏の旦那ァ、
  手が真っ赤になって、熱そうですな」

ザーッザザー…

杜「熱いよ!作業しているんだ、熱いし暑くもならぁな!」

ザーッザザー…

土「なに、混ぜれば良いんですな。
  なら、ホッホ、ホゥ!」

フグ乗りの大黒が声を上げ指差しますてぇと、
杜氏が混ぜる蒸米のうねの隣を米がまるで波打つ様に、
ザーザーッと、大きなうねりでもって、
ザーザーッと、あっと言う間に混ざっていってしまいます。
これを見た杜氏はそりゃあ驚きました。

杜「おお!なんだ、こりゃすげぇや!
  よし、よし、ありがとう。その調子で、うんうん。
  じゃあね、また山にするから集めてくんねぇか。
  そうそう、で、布を持って来ておくんな。
  そう、そこに引っかかっているヤツ。
  そう、それだ。
  よーし、で、包んで、温度計を差す…と」

杜「すごいなぁ!あっと言う間に終わっちまったよ!」

土「どうでしょう。杜氏の旦那!
  信じて頂けましたかね。
  あたしを使ってくださいますか!」

杜「いやいや、こいつぁ驚いた!
  まぁ、夢だかなんだか分かんねぇけれど、助かるのは確かだ。
  なんだい、いつまで居るんだい。
  狐、狸は朝になると化けの皮が剥がれっちまうなんて言うぜぇ?」

土「そんなことはございません。
  杜氏の旦那はまだ、あたしの事を獣か何かと疑っておられる。
  神通力もお見せしたじゃありませんか。
  ちゃんとお酒造りを手伝わせてもらいます。
  土びなの神様からの仰せつかりですから、
  中途半端な仕事は致しません」

「そうかー」ってんで、話がまとまりまして、
翌日から、フグ乗りの大黒様、酒造りの手伝いを行います。

翌朝になりますてぇと、
麹の頃合を見まして、「盛」を行います。
麹を「箱」と呼ばれる木の弁当箱みたいなものに移して、重ねる。
力のいる、また根気のいる仕事になりますが、
人形がホッホホゥと、あっと言う間に終わらせてしまいました。

麹とは、お酒の元になるものですな。
お酒の原料は、水と麹と米です。
麹とはご案内の通り、
米を蒸しまして種麹、もやしと呼ばれているものを振り掛けます。
これが米を麹に変える菌なんですな。
48時間ほど麹室の中で繁殖していただく。
米のまわりにびっしりと蔓延っていただく。
米の中まで、麹菌が入り込んで、仕上がりとなります。

この麹と、水、蒸米を一緒に仕込みますてぇと、
菌の力によって米が分解される…と言う決め式となっておりますな。

米の中の糖を分解致しまして、これを酵母が食べます。
“アルコールを精製する”と言う自然界の仕組みがございます。
どれが欠けてもいけません。
米をそのまま酵母が食らう事は出来ません。
どうしても酵母がアルコールを出すために、
米を分解した糖が必要で、米を分解するには麹が必要なのですな。

順調に発酵が進みますてぇと、
もう元よりの水ではございません。酒となります。
その間も、様々、温度管理などの面倒を見てあげなくちゃいけません。
これらを…時たまお手伝いも入りますが、
杜氏はほとんど、おひとりで作業しておりました。
猫の手も借りたい。
故に、人形の手、それも神通力の力持ちとくれば、
心地好く頼る気になると言うものです。

土「さぁさぁ、何でも言ってください!」

杜「よーし、それじゃあ今度は今日の蒸米のために、
米を洗おう。
洗って、水に浸してな、そうして蒸すんだ」

土「へぃっ!なるほど!そりゃ出来ませんな」

杜「なんだい、人が頼む気になるとそれかい?
  どうして?」

土「どうしてもこうしても…、杜氏の旦那ァ。
  あたしは土びなですよ。れっきとした正真正銘の土びなァ。
  水には弱いってぇのが相場じゃねぇですか」

杜「なに、それこそパッパとやっちまえば良いじゃねぇか。
  神通力でさ。
  その小せぇ手で水になんて触らないだろう?」

土「神通力ィ、土びなの神様がお与えになりましたものですからね、
  苦手な水には効かないお定めなんでございます」

杜「そうか、なんでい」

思惑が外れた杜氏は、
蛇口から水を出し、洗米…米を洗う作業に入ります。
水は雄大に信州を囲む山々の雪解け水からなる、
水道口から名水が流れ出でます地区、
ごく清冽で、冷たい水に米を浸し、流れに乗せて、
洗って参ります。

杜「おーちべてぇ。何がツライって、これがツライんだ。
  見ろィ、人間ってぇのは、
  熱くても赤くなって、冷たくっても赤くなるんだぜぇ?
  手が動かなくなって来た…ッ」

土「ですから、微力ながらもお手伝いはしますよ」

杜「お、本当かい!
  なんだよー、やっぱり手伝ってくれるんじゃねぇか。
  出し惜しみしないでさ、さ!ちゃっちゃとやっておくんな」

土「へい、では…・・・がんばれー……ィ」

景気の良い「ホッホホゥ」の神通力…とは違いまして、
声が、水音に掻き消されそうな勢い。
そして、水に浸した杜氏の腕は、なお凍えるばかり。

土「…がんばれー……ィ」

杜「……それだけかい」

土「ええ」

杜「ちぇーッ、そうら、よっこいしょー」

土「がんばれーィ」

杜「よっこいしょー、チクショウめー、腕が凍るぜ~、よっこいしょー」


杜「よし、洗い上がったからな、浸す。
  浸漬をしよう。今日の外気温、水温、
  米の洗い具合、腹の空き具合も足して、
  どんだけ水ン中に浸しておくかを計算する……
  ……んー、ちょんちょんと」

杜「よし、32分ばかしか」

するってぇと、杜氏はストップウォッチを持ちまして、
米を水に浸す…時間を計り始めます。

土「杜氏の旦那ァ、
  そんなストップウォッチを持ってやる様なもんなんです?」

杜「おう、おまんまだったらな、
  別に良いんだよ、どうでも。
  だけどな、酒造りの『浸漬』は違う。
  全ての作業が失敗できねぇんだ。
  水を吸わせ過ぎては蒸しに影響が掛かる。
  蒸しをしくじりゃあ、麹も悪くなる、
  麹が悪くなれば酒にも、もちろん影響があらぁな。
  逆に、水が足りなけりゃ蒸しで、
  干からびちまう事だってあるしなぁ。
  この作業のしくじりが…、
  ほんのちょっとのほつれだって、
  酒になった時に、どう影響を及ぼすか検討もつかねぇんだ。
  最善をな、尽くしてやらない限りは、
  良くない方向に行く可能性ってぇのが鰻上りだよ。
  そうしたくなけりゃ、どうするって?
  いつも、どんな事にだって一生懸命に、
  めいっぱいに醸す。良い酒になるんだって信じる。
  一滴入魂、一滴にも俺の全部を注ぐんだ」

土「ほうほう…酒造りてぇのは、随分と心の要る仕事なんですなぁ」

杜「あぁ、頑張った分は酒が答えを出してくれる。
  旨い酒になってな、喜んで飲んでもらえる時ぁ、最高に良い気分だぜ。
  魂を込めた分、“嬉しい”ってなぁ魂が返って来るんだ」

杜「よし、時間だ!さぁ、これを蒸す!
  甑(こしき)に持って行くぜ!」

土「お、ザルから上げて、米を?持って行くんでスか?
  ええ、ええ、
  そう言うのでしたら、あたしにも出来ます!
  あちらの釜ですね、ええ、お任せを!」

杜「良いのかい、さっきまで水に浸ってたんだ、
  少しは湿りがあるぜ?」

土「いいんです!大丈夫です!
  杜氏の旦那ぁ、
  あたし、酒造りの真剣さに心打たれました。
  土びなですから、中ァ、空洞ですけど。
  手伝わせてくださいまし!」

杜「言うねぇ、じゃあ頼むぜ!」

浸しました米は、蒸します。
土びなに手伝ってもらい、
よいせっ!…と運びました米は、
「甑(こしき)」と呼ばれる大きな釜に、
丁寧に敷き並べられます。
支度が整った甑からは、
蒸気が今こそ出でんと待ち構えております。
米の上に、布をかぶせて、蒸気を当てる。
もうもうと湯気が立ち、布がぷかり…浮かび上がります。
蔵の内に差し込む朝の光は、
蔵中に垂れ込める蒸気に反射して、
光の筋は目に留まる事となり、
幻想的で、また蒸される米の甘い香が漂い、
酒蔵の朝の風景、風物詩のお決まりと言ったところ。

土「よーよぅ、すごい蒸気ですねぇ。こりゃあ近づけねぇや」

杜「俺だって近づけねぇよ。
  焼けつっちまうぜ。
  ボイラーでなぁ…、
  昔は釜の下ィ、火ィくべて水、張ってやっていたそうだが、
  いかんせんな、
  ボイラーの熱量は強くて安定しているんでな。
  繊細に蒸米を作ることが出来るってもんよ」

土「へえ。
  あたし達は今も昔も、
  絵師さんにしっかと顔を描いてもらって、
  服を絵付けもらいますがねー。
  ボイラーなんて、近代文明になんて頼らない、
  伝統工芸ってぇ性分でございますからなぁ」

杜「はっはっは。伝統ってぇなら、
  酒造りも古くから続くし負けちゃいねぇが、
  良い酒になるためなら、何でもしなくちゃいけねぇからな。
  蒸しの状態てぇのは、
  良い麹を作るにはとっても大切なんだ。
  外硬内軟って言ってな。
  外側が乾いていて硬く、
  サバケが良い…
  けれど、中は軟らかくて、
  よーく種麹が中に入って行き易い、
  菌糸を這わせやすい状態にしてやって、
  麹室に引き込んでやる。
  その為には、ボイラーは必要だなぁ。
  酒造りてぇのは伝統の技には違いねぇんだが、
  伝統ばっかりじゃなくて、
  最新鋭の技術、科学のチカラってぇのも取り込んでやって、
  とにかく、
  「ウマイ!」って言ってもらえる酒を醸してぇんだよ」

土「そうスかぁ。土びなとは、随分と趣が違うんですねぇ」

杜「一滴入魂の気持ちは一緒じゃねぇか。
  もっとも一筆入魂なんだろうけどもよ。
  それが伝統の技、心意気ってぇもんよ」

土「流石、杜氏の旦那。良い事を仰いますなぁ」

杜「よせやい、何も出ねぇぜ?へへっ。
  よぉし!次だ!蒸しの間に、次に行こうか!」

土「えっ!次ですかィ!?」

杜「なんでぇ、疲れたかい。人形だけに小せぇナリだしな。休むか」

土「おっ、おう、いえいえ、こりゃあ負けてられませんぜ。
  アタシ、ご奉公の身の上でございます。
  ご主人より先に腰を下ろせるものですか!」

杜「腰を下ろす…って、お前さんは宙に浮いている訳だが…」

土「宙もニャーもありませんや!
  しっかとお手伝いさせて頂きます!
  それにしても…杜氏の旦那は休まないですかィ?
  体ぁ動かし過ぎても良くないと思うんですが…」

杜「なぁに、酒造りは今しか出来ねぇからな。
  今、良い酒のために、やるべきなんだ。
  一冬一冬に精魂込めて醸す。醸したいんだ。
  そう思えば、自然に体が動くってもんよ」


杜氏と土びなは、
続いて、酒になる前の状態…
酒が発酵して行く場所、
モロミが入ったホーロウタンク、立ち並ぶ部屋にやって参りました。
電灯は裸電球がポツリポツリと照らし、
ひんやりとした空間に、身の丈よりずっと大きい酒のタンクが、
部屋、所狭しと敷き詰めれられております。
光はタンクの影に遮られ、まるで樹海。
たくさんの酒の命、生命が育まれる場所でございます。

土「わぁ――…杜氏の旦那ァ、なんですか、これー。
  随分と大きいですねー」

杜「2000リッターのタンクだ。
  普通と言っちゃあ普通の大きさだが、
  そうだなぁ、まぁ、おめぇさんの体から言えば、
  随分と大きいなぁ」

杜「もう、何本かモロミが立っているからな。
  これに仕上がった麹と、蒸した米、水を入れる」

土「なんすか、杜氏の旦那。タンクの中…
  この粥みてぇなの」

杜「それがモロミって言うんだ。
  日本酒そのものだよ。それを漉してやると、
  酒と、酒粕に分かれる。
  で、樽に詰めてやれば、
  酒として世に出て行くってぇ寸法だ」

土「へぇ、おっ、モロミの野郎、コポコポ息してますよ」

杜「モロミの野郎ってなぁ、妙な言い草だなぁ。
  まぁ、いいやな。
  さぁ、こっちのタンクに水や蒸米を入れるぜ
  「留(とめ)」の日なんだ」

土「トメ…?
  あれだ、どっかの横丁のばあさんを連れてきて、
  蒸米と水と一緒に仕込んで、人身御供に…?」

杜「おいおい、神様の使いが、
  えらく物騒な事を言うじゃねぇか!
  違うわい」

杜「酒の仕込みはな、
  回数を分けて、麹、米、水を仕込んで行くんだ。
  ちょっとずつな。
  一時にやると、
  麹の菌も酵母もビックリしちまって上手に生きられねぇ。
  酒にならねぇからな。
  「添」「仲」「留」の三段階だ。
  「添」のあとには1日、踊りがあって、
  菌を馴染ませて、増殖させて、
  そうしてモロミが安定したところで、
  増やして行く…発酵させて行くんだ」

杜「さぁ、持ち上げて、そうだ…
  入れて、そうそう、よーしよし」

土びなの力を借り、次々に酒の素が仕込まれて行きます。

土「杜氏の旦那、全て入れ終わりましたから、
  これで、このタンクの中は酒になるんですか」

杜「そうだ。ここから20日くらい掛けて、ゆっくり育てて行く」

土「はつか!もう、これで酒になって飲めるンじゃないですか!」

杜「なんでい、さっきから聞いてりゃ、
  手伝いに来たって割には、何にも知らねぇな。
  お客を蔵見学で案内しているみてぇな心持ちだぁ。
  下手な客の方がよっぽど知っているぜぇ?」

土「いやいや、杜氏の旦那ァ、そりゃあ仕方がありませんや。
  あたしは土人形のプロですからね。
  酒造りはサッパリですよ」

杜「土人形のプロって…土人形そのものじゃねぇか」

土「生を受けてこの方、一分の隙間なく土人形でさぁ」

杜「…まだモロミは酒の赤ちゃんとでも言うか、
  ようやく仕込み、準備が揃ったところだ。
  ここから酒になって行く……
  温度をあまり上げずに、
  徐々に元気に発酵してくれば、
  発酵の熱によって温度が上がる。
  上げ過ぎると、
  酒が酒になる前に米が融け切っちまうし、
  下げ過ぎてもいけねぇ。
  今度は、発酵停滞に繋がる。
  低めを保ってやりながら、熱くなり過ぎないように、
  寒くなり過ぎないように、
  いい按配でモロミを見て行くんだ」

土「えー、そりゃあ、なんとまぁ、お難しい…」

杜「さぁ、どんどんやるぞ!
  土びなだか、なんだか知らねぇけど、
  この節、猫の手を引っ張ってでも借りてぇ所なんだ。
  よろしく頼むぜ!」

土「へい!杜氏の旦那ぁ!」

そんな訳で二人三脚…
…にしては、足首も結べない土びなではございますが、
とにもかくにも、酒造りが始まりました。
相変わらず、土びなは水に触れる仕事は出来ませんが、
麹の盛り、切り返し、積み替え、
モロミの温度管理…
酒造り最盛期、冬の酒蔵に、仕事と言うものは、
いくらでもございます。
杜氏も寝食を忘れて、熱心に酒を醸して参ります。


夜はシンと静かな雪の降る晩。
タンクが並ぶ部屋は、
少ぉしだけ騒がしいものでございます。
サァサァ…サァサァ―――
発酵する音、
霧雨、風に混ざり、
雨戸を撫でる音の如く、仕込み部屋を包みます。

麹、酵母が双方に働きまして、
モロミの面を一層、賑やかなものにしております。
タンクを覗き込みますと、
まるで天狗の団扇に仰がれ、風が舞い上がる様。
酒の息吹。
ごく芳しく、爽やかな良い香、
酒の呼吸が頬に添い、目の前にはモロミの一面の白い景色。
深雪が沸き立つ様な景色は、
育まれるモロミの生命を強く感じさせるものです。
杜氏はじっとモロミを眺めておりました。
しばらく眺めていると、次のタンクへ。
そうして再び眺め、1度だけ頷きますと、
また次のタンクへ。

土「杜氏の旦那、寝ないんですか。
  明日もお早いはず…。
  少しばかりでも横になり、体を休めて起きませんと…」

杜「へへ、お前ぇに言われるとはな。
  本当に助かってるぜ。
  なぁ、見てくれ。
  モロミが生きているんだ。
  良い香だろう」

土「アタシは土びなですから、匂いてぇのは分かりませんや。
  でも、そう、動いていますな。
  かき混ぜてもいねぇのに、
  米の粒が見えまさぁ。
  あれ、アタシが入れた米粒ですよね」

杜「そうだ。
  その米が麹によって融ける。
  融かした所に酵母が食いつく。
  酵母が食うと、アルコールになる。
  二酸化炭素を吐き出して呼吸をしながら、
  アルコールを生成してな、
  そして香気成分を置いて行く。
  この繰り返し、極まったものが酒なんだ。
  じっくりじっくり発酵する」

土「へい」

杜「いいか。
  目に見えない菌、酵母、
  これが酒を造ってくれる。
  俺たち、人間てぇのは、
  菌が動き易い環境を作ってやることしかできねぇんだ。
  モロミが寒いと言えば、暖めてやる。
  逆に暑いと言えば、冷ましてやる。
  育つことに最も良い環境を作ってやるんだ。
  親…と言えば親か。
  育つのは子が、モロミが一生懸命になって、
  生きてくれなくちゃダメなんだ。
  杜氏の…俺の仕事なんざ、
  ただ、ただ、ヨチヨチ歩きだったモロミが、
  立派に日本酒となって一人前に成るまで、
  一生懸命に、環境を造ってやるだけなんだ。
  たったそれだけしか出来ない。
  こうして声を聞いてやる、そして動く。
  これを繰り返しているだけ。
  一生懸命、良い酒になってくれ…と、祈るだけ…」

じっとモロミを見つめる杜氏。
それは慈愛深く、また時に厳しいもの。
そんな杜氏を、土びなも何を言うとでもなく、
ただ、じっと見つめていました。

静かな…
モロミが生きる雨の様な音、ササーササーと言う音だけが響く、
雪降りしきる晩の出来事…。


杜「さぁ、今日は1本目を搾るぞ」

土「搾る?搾るてぇのはなんです?
  初めて、お出になるお仕事ですな」

杜「そうだ、育ったモロミを袋に取って、
  この槽(ふね)に入れて積んで行くんだ。
  これは濡れるからな、
  ここは俺に任せてもらって、
  お前ぇさんには、他の仕事をお願いしようか」

土「杜氏の旦那、もし、良ければ見せてください。
  旦那が言っていた、
  モロミを酒と酒粕に分ける…
  酒が酒になる瞬間ってぇ、ことですよね。
  アタシ、旦那がこのひと月、
  魂込めて醸したもの、その生まれる場を見てみたいです」

杜「そうか。あぁ、良いだろう」

杜「この酒袋にモロミを取って、んしょっと、置く。
  ふー。
  袋に取って、んしょっと、置く。
  ふー。
  これを何度も何度も繰り返すんだ」

杜「袋に取って、んしょっと、置く。
  袋に取って…、よし、次…」

槽(ふね)と言うものは、
大きな弁当箱、悪く言えば棺桶の様に、
縦長で深い箱になった枠をご想像頂ければと存じます。
とにかく深く、
両の手を底に持って行くには、
身を乗り出さなければなりません。

杜氏は何度も何度も作業を繰り返します。
モロミを袋に取る際には、
ズシリと重いモロミが袋に流れ込み、
掴んだ手も千切れそうな程に圧が掛かります。
ここで流れに負けてしまって手を離すと、
モロミが床にぶちまかれてしまいます。
無事にモロミを袋に詰めたとしても、
それを胸高まで持ち上げ、足元あたり、
袋をゆっくり槽(ふね)に並べて行く。

歩く度にバシャッバシャッと水辺を、
重く動くすり足の音、
重みで震える手は、繰り返せば繰り返すほど、
疲労の影を見て取れるようになります。
呼吸が荒くなり、真冬とは言え、
杜氏の額、こめかみ、首筋には汗が見え、
浅黒い肌からは湯気が立ち上ります。

土「杜氏の旦那ァ、あたしも手伝います!」

土びなは、居ても立ってもいられません。

杜「おいおい、濡れちまうじゃねぇか」

土「ええ、ですから!
  ですから、旦那を動かす事にします。
  旦那の量の腕に神通力を掛けますんで、さぁ!
  ホー、ホウホウ!どうぞ!持ってみておくんなさい」

杜「お、おお、モロミが重くない」

土「えぇ、任せてください。
  こうしてひと月、旦那とやって参りました。
  酒造りに勤しんで参りました。
  だいたいね、コツなんてぇものは掴んじまいやした。
  旦那の呼吸が分かりやす。
  モロミが落ちる瞬間に力を入れて、
  グッ、ググッ――…と重みを受ける。
  一旦呼吸を置いて…整えてから、
  せいの、で、槽に置いて行く。
  何でも分かります。
  一生懸命な杜氏の旦那の仕事を、
  アタシも、おそばで一生懸命にお手伝いして来ました!
  杜氏の旦那が欲しいものが、もう何でも分かります。
  えぇ、旦那が今、こうして酒を搾る…
  酒が仕上がる嬉しさもまた、伝わって来るんです。
  ねぇ、
  お酒の事なんて何にも分からない土びなのアタシも、
  杜氏の旦那と一緒に酒を造る事が出来て、嬉しいんです」

杜「そうか、そう言ってくれると嬉しいな。
  そう言やあ…、お前ぇさんも随分と手が汚れちまったなぁ…」

いつしか土びなの手は、汚れていました。
神通力で、直接手を使ってはいませんが、
使う事で染みる様に、
水や蒸気に少し触るだけでも、
何度も何度も触れる内に、染みが広がって行く様でした。

土「ありゃ、お気づきでしたか。
  神通力とは言え、土びなの神様ってぇことで、
  水は染みて来る様でして」

杜「いいのかい、人形が手を汚しちまって」

土「なぁに、杜氏の旦那が頑張っているのを見たら、
  自然に体が動いたんです。
  人形としたら、汚れちゃあダメかも知れませんがね、
  今は、旦那をお助けする事が、アタシの役目です。
  これぐらいィ、どうってことないです」

杜「嬉しいじゃねぇか。
  その心意気、存分に買わせてもらうぜ。
  お前ぇさんは、立派なうちの蔵人だ」

杜氏と土びな、
ふたりで協力し合い、次、またひとつ次へ…
酒袋を積み上げて参ります。
槽(ふね)に、めいっぱい袋が積み上がりますと、
上から蓋をし、大きなネジが付いた板で押し付ける…
ネジを回す事で、グッと上から圧が掛かります。
急に搾っては酒に粗が出る事もありますから、
ゆっくりゆっくりと、時間を掛けて、
酒を搾り出して行きます。

杜「見ろィ。ちょろちょろと出て来ただろう。
  あれが酒なんだ。
  まだ出始め、あらばしりだ。
  少しずつ圧を掛けて行く。
  少しずつ少しずつだ」

土「お、お、お、出て来ますね。
  杜氏の旦那ァ!これが酒なんですね!」

杜「そうだ、長い時間かかってここまで来るんだ。
  お前ぇさんも、よぉく知っているだろう?」

土「ええ、存じております。
  米を洗い、蒸す所から、
  モロミが育って行く全て、拝見して参りました」

杜「さぁ、どうする。
  酒がどんどんと搾れて行く。
  飲むかい、いや、お前ぇさんは飲めるのかい」

土「へぇ、ありがとう存じます。
  アタシは土びなですから、水に触れられませんや。
  飲むなんて、もってのほかです。
  こうして、派遣に預かる前、
  親父に言われました。
  土びなの神様の神通力のおかげでご奉公できる。
  けれど、水を浴びたり、
  よもや飲んだりしてしまっては、
  神通力が解けて、
  ただの動かねぇ人形に戻っちまうんだ…って。
  死ぬ訳じゃあねぇんです。
  人形が人形に戻るだけなんです」

杜「そうか」

土「でもね、アタシね、
  そのお酒は飲んでみたいです。
  杜氏の旦那が、一生懸命育てた酒です。
  マズイはずがねぇ。
  こんなに魂がこもった酒はねぇと思うんです。
  知ってんですよ。
  その酒は、飲むために生まれてきた。
  そのために、杜氏の旦那は一生懸命に働いた…。
  飲まれるためにあるんだってんなら、
  全うしなくちゃいけませんや」

土「そしてアタシも、
  及ばずながら旦那のお手伝いをさせてもらいました。
  そうですね、結構、難儀な手伝いでした。
  手も汚れっちまいますしね、
  何より重労働だ。
  人形のアタシ向きじゃあ、ありませんや。
  それを頂いて、
  故郷に帰ろうと…
  …お暇を頂こうと思います。
  元の人形に戻るだけですから、
  ただ、元の人形に戻るだけですから、
  それで良いんじゃねぇかって思うんです。
  杜氏の旦那、
  是非…、
  是非、その酒を飲ませて頂けないでしょうか」

杜「もちろんだ。お前ぇさんが呑みたいと言うのならば、
  この酒は喜んでお前ぇさんの口に入って行くだろう。
  さぁ、呑んでみてくれ。
  実に良い香、良い酒だ」

土「へぇ、いただきます。あぁ、本当に良い香ですね」

杜「…土びなは香が分からねぇんじゃねぇのかい」

土「ええ、分かりません。
  分かりませんが、旦那のお顔で分かります。
  良い香だってぇ、お顔をされております。
  旦那の事は、何でも分かります」

ゴクッ…。

杜「あぁ、うまい」

土「うまい、うまいですね。
  本当にうまい。
  杜氏の旦那の顔が浮かびますよ。
  目の前にいる、旦那の、
  色んな顔が…
  汗して、息ぃ切らして、
  一生懸命、一生懸命、醸してらっしゃる」

土「へへっ、旦那ぁ、アタシ、
  口のまわりにお酒を粗相してはいませんかね」

杜「いや、大丈夫だ。綺麗なもんだ」

土「そうですか、
  アタシが、ただの土びなに戻った時、
  ね、人形が顔を汚していちゃあ、締りがありませんや。
  売り物にもならねぇかも知れません」

杜「なに言ってやがる。
  お前ぇには、ずぅっとこの蔵を見守っていてもらいてぇ。
  どんなに汚れていても、俺は買うよ。
  俺の酒造りを、ずっとずっと見守っていてもらいたい」

土「そうですか、
  ずっと一緒にいられるんですか。
  ありがてぇ、ありがてぇなぁ…」

土「うまい。うまいです。
  芯からあたたまる様だ…」

その時、タッと人形の目からひとすじ、光るものが落ちました。

杜「お、おい、お前ぇ目から涙…か」

土「あぁ、いけねぇ。
  泣いちゃあいけねぇや。
  でもね、こんな嬉しいこたぁない。
  いけねぇなぁ、涙のあとも、染みになっちまうってぇのに」

杜「本当にありがとうよ。
  お前ぇに手伝ってもらって、助かった。
  今年は良い酒造りが出来たぜ」

土「あたしも楽しい時間でした。
  今後とも、えぇ、
  良い酒を醸し続けて行ってくださいましな」

杜「あたりめぇだ!」

ふたりに呼吸と言うものが存在し、
合う事で、酒造りを続けて参りました。
言葉に表さなくても、阿吽の呼吸、心の通いがございます。
共に、これが最後と分かっていたのでしょう。

すっと魂が抜けたかの様に、
コト…と、乾いた音を静かな蔵の中に響かせて、
土人形が床に落ちると、
もう、それっきり動かなくなりました。

杜氏はその年、生まれ来る酒に、
「中野土びな」と名付け、
酒の顔になりますラベルには、
土人形の…フグ乗りの大黒様の絵柄を書き添えました。

その後も、杜氏は熱心に酒を醸しております。
もし、中野でお顔にちょっとした染みのある土びながございましたら、
それは清酒「中野土びな」を醸した、
不思議な中野土人形協会所属の土びななのかも知れません。

息吹立つ 酒の心に 土人形の 命灯りし 中野の夜

「中野の土びな」と言う一席でございました。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

あとがき……………………………酒落語・その五

えー、まずは御礼申し上げます。
酒落語の第5弾、
お読み頂きまして誠にありがとう存じます。
初めて人情噺を書かせて頂きました。
これまでの食、信州、日本酒の組み合わせではなく、
酒造りそのものをお題目と致しました。

えー、
「井賀屋酒造場」は中野市にございまして、
「中野土びな」と言う純米大吟醸がお品としてございます。
売られております。
もちろん、今回、私が申し上げました、
杜氏と土人形とのお話は、フィクションでございます!
一応、酒銘を使う旨、
「井賀屋酒造場」さんにお話を通してはおりますが、
「中野土びな・純米大吟醸」の由来と致しましては、
ええ、
私自身の二次創作でございますので、
何卒、ご理解の程をお願い申し上げておきます。

ただ、フィクションでない事も多くございます。
「井賀屋酒造場」、一滴入魂の酒を醸す酒蔵。
若き杜氏「小古井宗一」氏が醸す日本酒に、
私、心底、惚れております。
主なラインナップは「岩清水」と名付けられており、
個性のある素晴らしい日本酒です。
チャレンジ精神に溢れ、
酒質の向上に日々研鑽、打ち込み打ち込み、
年々、その旨さたるや鰻上りであると、
実際に口にし、
五臓六腑に染み渡らせて感じている次第であります。
先日、10月13日も長野酒メッセin長野に馳せ参じまして、
岩清水・純米五割麹・無濾過瓶火入れ、
この57℃にした燗酒が、非常に美味しいものでした。
「あぁ、この酒が大好きだ!」としみじみ味わいました。
小古井杜氏の奮闘、今後とも応援して行きたいと思います。
また今年も、来年も、更にその先、
ずず、ずいっ…と、美味しく頂きたい、そう思っております。

こうして“あとがき”として、
書き出したものを振り返りますと、
もしかすると自分自身が、
「岩清水」を題材として描かせて頂く事で、
その素晴らしい日本酒に携わりたい…と、
内心、頭のどこかで考えてこそ…なのかも知れません。

井賀屋酒造場もまた然りですが、
何蔵も蔵見学をさせて頂いた中で、
やはり、モロミの呼吸が支配する空間と言うものは、
実に生命の息吹を感じる事が出来る場所だと感じております。

身を清めるが如く、自然と背筋が伸びる心持ち。
静かな気配が、シンシンと降り頻る雨の様な音は、
仕込み部屋に反響し、心身に染み渡ります。
息吹、その神々しさを肌で感じ、
酒を醸す事は神事に似たり…そう思わせます。
何度も、そう思っております。
もし、今回の酒落語をご高覧頂くことで、
酒蔵の空気が、チラッとでも鼻先を霞めましたら、
たいへんに幸いでございます。

それでは、また第6弾でお会い出来ればと存じます。
ありがとうございました。
ありがとうございました。

酒 宗夜
酒落語・第5席「中野土びな」
2011年10月19日。

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